劇団シャララのリーダー出川哲朗がリアクション芸人になった原因

嫌われた芸人でよく名前が出ていた出川哲朗ですが、今は好きな芸人で名前があがるようになっています。

テレビを観る世代が若くなったのが原因か、出川哲朗の年齢が上がったからか、、、

今がちょうどいい感じなんでしょうね

今回は劇団シャララのリーダー出川哲朗がなぜリアクション芸人になったのかについてお伝えいたします。

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出川哲朗とは

・劇団SHA・LA・Laのリーダー(55歳)
・神奈川県横浜市神奈川区出身
・生年月日:1964年2月13日
・身長:159cm
・日本映画大学卒
・配偶者:阿部瑠理子(元レースクィーン)

劇団SHA・LA・LAとは?

1987年に同期7人で旗揚げした劇団です。

劇団SHA・LA・LAのメンバーには何とウッチャンナンチャン2名とも在籍しています。

「ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば」というウンナンの冠番組が高視聴率をたたき出していた頃、
リーダーの出川哲朗より劇団SHA・LA・LAの団員のウッチャンナンチャンの内村光良・南原清隆の方が明らかに売れっ子だったのです。

【メンバー】
リーダー出川哲朗
内村光良(ウッチャンナンチャン)
南原清隆(ウッチャンナンチャン)
入江雅人
田中和治
仁井田さゆり
朝山まゆみ

入江雅人までは「笑っていいとも」などで出演して知っている人も多いと思いますが、当時からウッチャンナンチャンの人気から出川哲朗はテレビに出ている状態でした。

今の出川哲朗があるのはダウンタウンのおかげ

今の出川哲朗があるのはウッチャンナンチャンはもちろんですが、ダウンタウンが目をつけたのが勢いのキッカケとも言えます。

昔、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」は笑撃的電影箱という2本だての番組の内の1つでした。

もう一つは「ウッチャンナンチャンのシャララ(with SHA・La・La)」という番組です。

※のちのウッチャンナンチャンのシャララは終了して「電波少年」が始まりました。

ある日、ガキの使いやあらへんでの収録現場にウッチャンナンチャンが訪れました。その時に出川哲朗も一緒に連れてきていたのです。

その時にダウンタウンが「えらいの発見した!」と出川哲朗にスポットをあてたのです。

それから「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば」でも出川哲朗は人気を集め、時にはダウンタウンが「ガキの使いやあらへんで」の中で山崎邦正と戦わせたり、と出川哲朗の知名度は上がっていきました。

出川哲朗がリアクション芸人になった理由

ガキの使いの現場に現れた出川哲朗をダウンタウン松本がウッチャンナンチャンに「ちょっと今度、この子貸してや」といったのをキッカケでダウンタウンとの仕事も増えるようになり、その中でリアクションを求められるようになったのが現、出川哲朗の芸風である「リアクション芸人」になった原因なんです。

当時、ダウンタウンとウッチャンナンチャン、とんねるずがバラエティ番組を3分するくらいの勢いがありました。
その中でも怖いもの知らずのダウンタウンは特番も沢山もち、大物タレント相手に毒を吐きまくっていました。

そこで生き残っていくにはリアクションが薄いとまず無理です。

ちょっとした事に対して大きく反応できるのがリアクション芸人です!

その頃、出川哲朗はテレビの仕事があるものの、嫌われキャラでした。

それが何と50歳を過ぎた出川哲朗は若い高校生世代には人気キャラに転身しつつあるのです。

まとめ

芸能界で売れたキッカケはウッチャンナンチャンが人気が出た事とダウンタウンとの出会いです。

ダウンタウンとの出会いはウッチャンナンチャンが作ったものですから、やっぱりウッチャンナンチャンの存在が成功の一番の原因ですね!

リアクション芸人になった理由はダウンタウンに目をつけられて、天下のダウンタウンに必要とされたという気持ちから一生懸命リアクションをした出川哲朗の努力の結果が今のリアクション芸人という状態です。

芸能界で生き残るためには、恥ずかしがったり、引っ込み思案的な態度ではまず無理ですね!

出川哲朗は視聴者に嫌われても、リアクションをやり続けて結果を出しました。

ここまでくればキッカケはウッチャンナンチャン・ダウンタウンだったとしても出川哲朗自身の実力でしょうね!

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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